不登校生活を送っていた僕ですが、通信制高校でギターという新しい人生が開けました。

僕が不登校になったのは、
高校1年の夏休みが終わって、一週間か二週間経ってからだった。

きっかけは、ボクシング部のイザコザ・・・・けれどホントは違う。
忘れていた記憶。
忘れていたはずだった、あの”いじめの記憶 ”が甦ってきたからだ。

中学で2年、3年と思い出さないようにしてきた、
いじめの記憶がここへ来て、
後から後から、溢れ出てくるのを止められなくなっていた。
もう完全に「あの頃の自分」に戻っていた。

不安とか、どうしよう・・・・とか、
ダラダラ考えているような心理状況じゃなくて、恐怖。
絶対的な恐怖だった。

それでも当時は、
無理をしてでも学校に行こうとしていた。
電車通学だったけど、通勤ラッシュの電車の中で、揉まれながら、
なんとか努力したけど、もう吐き気がして二駅さえ乗っていられなかった。

このままでは、まわりに迷惑がかかるので、
電車を降りて、家に電話をする。

電話に出たのは親父だった。
その時に出た言葉が「もしもし、おとうさん・・・・・・」だった。
もう何年も使っていなかった言葉。
自分でも不思議と、この言葉を使っていた。
当時、父親との関係はかなり険悪な状態で、
僕の中では親父を「おとうさん」と呼ぶことに抵抗があったけれど、思わず使っていた。
あの時、父親に、本当の助けを求めたんだと思う。
けれど、これが親父を
「おとうさん」と呼んだ最後になった。

それから家に帰り、布団にもぐった。
次の日の朝になって、親が起こしに来ても起きようとしなかった。
それから学校には行かなくなった。

全日制高校に通っていた当時は、悪いことをするのがカッコイイと思っていて、親を困らせてばかりいた
ただ将来のために高卒資格は取得したいと思い、通信制高校や高卒認定予備校の資料をまとめて取り寄せた。
通信制高校に通いながらバンドを始めました。

その後、楽器の上達に限界を感じて、自分にできることは何かを考えた末に、本格的に通信制高校での勉強に力を入れ、大学受験を目指すことに。

ギターの先生に付いてクラッシクギターを習い始め、半年間で大会コンクールに参加できるレベルまで上達た。
学習内容は、ギターテクニックの練習はもちろんですが、作曲家について学び、曲想を膨らませながら演奏する姿勢を修得しています。将来はプロのギターリストになり、多くの人にクラシックギターの素晴らしさを知って欲しいと思っています。

通信制高校の仲間には色々な考えを持つ人がいて、よい刺激になった。先生も熱心に指導してくれたし、「やればできる」ということを実感できたように思う。
あのまま全日制高校に通い続けていたら、このような達成感や充実した時間は経験できなかったでしょう。