いじめがない学校
最近「学校の先生のためのカウンセリング」の機会が増えているようです。
これは良いことだと思います。
家族療法があるように、学校では、先生達が変われば生徒さん達も変わる可能性は大きいと思います。
例えば「どうして学校へ行かないんだ。」「どうしていじめるんだ。」
このどうして・・・どうして・・・どうして攻撃に本人達は耳にタコが出来ています。
是非、先生達も生徒さん達の本音と向き合って少しでも「いじめ」という現状を減らしていって欲しいと切に願っています。対策・いじめている方の子は、自分の欲求不満を「学校内で自分より弱い立場や弱い気持ちの人間」にぶつけているのです。
その欲求不満のはけ口を他に向けてやるようにすれば良いのではないでしょうか?
スクールカウンセラーの導入が活発化している現在、いじめている子の成育過程における問題点を見つけ出すようにカウンセリングして、その子が何故他人に向けて「荒々しい態度」をとるようになったかを見つけ出してあげるのは、そう難しくはなくなったのではないでしょうか? そしてカウンセラーと信頼関係を結んだその子のストレスの矛先を少しずつ、正しい解消法へ向けてあげ、かかえている問題点に対処してあげれば「いじめている方の子」の数は確実に減らしていけると思います。
また、いじめられてしまった子のこころの傷も癒してあげることも忘れてはいけません。いじめによって対人恐怖症になる子がいることも忘れてはいけません。カウンセラーが居ない学校は、これは先生の仕事となります。

 通学していて楽しく、ぬくもりを感じる学校
仲良しの友達がいる学校
先ず、学校で大きな声で「おはようございます。」「さようなら。」「いただきます。」「ごちそうさまでした。」
「ありがとう。」「ごめんなさい。」の日常の挨拶を大きな声でハキハキとすることから始めたらいかがでしょうか?

子供達は大きな声で発声することを忘れているように思います。まるでストレスを溜め込んでいるかのように。
声を出すということはコミュニケーションです。
そして友情という絆を結ぶ方法のひとつに、言い換えれば愛情を表現するひとつの方法として「相手を先に思いやる。」ということを教えることがあげられると思います。
それは「相手が望んでいることを知る。」ということから始めます。
望んでいないことをしても相手には通じません。
望んでいることを知るということは「相手を理解する。」ということです。
相手を理解することは相手と「本音」で話すというプロセスが必要です。
そして自分自身の「本音」を相手に語ることが相手のこころを開いてもらう方法のひとつだと思います。
相手にどう思われるかなとか、こんなこと言ったら格好悪いとか考えずに先ずは「会話」すること~本音と本音の会話~が信頼関係を紡いでいくのではないでしょうか?

人間関係や友情の絆が「楽しさやぬくもり」を生むのだと思います。
それは、どうすれば結べるものかと考えた時に「絆」を紡ぐ「信頼関係」を作ることの難しさを感じます。
特に現代っ子と呼ばれる子供達は時代の流れによって、人と接する機会が少なくなってきました。
生育期に「核家族の一人っ子」という環境や成長過程での遊戯が友達と外で走り回ることからファミコンやテレビゲームやコンピューターという情報化社会の「一人遊び」という遊戯に形を変えて「情緒的人間を育てる環境」から「情報型人間を育てる環境」へと変遷したために他人とどう向き合ったら良いかが解らないという子供達が増えているように思います。
そして戦後、個人主義的教育というアメリカタイプの教育が導入されて子供部屋なる個室を与えられそれが情報型遊戯と結びついた現代、子供達が「ボキャベラリー」を失いつつあるように感じるのです。

 楽しい授業がある学校
先生の笑顔が絶えない学校
先生のエコヒイキが無い学校
先生と生徒との信頼関係の絆も友達との絆を結ぶのと同じだと思います。
まず先生達から、大きな声で日常の挨拶の言葉をかけてやってください。笑顔を絶やさずに。
そして生徒ひとりひとりの個性と向き合ってあげてください。
ご自分が丁度、同じ年齢の時に何を考え、何を糧にして生きていき、どんな生徒だったか、ご自分の思い出と向き合ってみてください。
生徒は先生が気付かないところで意外と「エコヒイキ」を感じている場合もあります。
学生と総称される年代は、その感受性も成長期にあることを忘れないでいてください。
ちょっと背中を丸めて歩いている生徒さんがいたら「自信をつけさせてあげてください。」「長所を誉めてあげてください。」その背中が真っ直ぐになるように。

不登校にならない高校
給食が美味しい学校
現在「一種類食い」なる食べ方をする子供達がいると聞きました。
例えば「ご飯・魚・煮物」があったとしたら「魚」を全部食べてから「煮物」を全部食べ終え最後に「ご飯」をご飯だけで食べるという食べ方です。子供達には箸の持ち方から食事の取り方を小さな頃からご家庭で教えてあげてほしいと思います。最近は学校給食がかなり工夫されて美味しくなっていると聞きます。
美味しい給食とは「楽しい会話のある食卓」と結びつくのではないかと思います。
お喋りをしないで食べましょうというのは、口に食べものを入れたまま話すのはやめましょうというマナーの問題で
成育過程において「一家団欒」が大切な家庭の「栄養」になるように楽しみながら食事することは栄養を体内に吸収するためにも大切なことです。
制服が格好良い学校

デザイナーブランドの制服が登場しているとか。
本来、これだけで選択校を決めることは無いと思いますが、清潔さを保っていればそして学生らしさを失わないものであれば良いのではないでしょうか。

勉強、勉強と言わない学校
勉強の習慣は「勉強しろ。」と口うるさく言うのではなく勉強する環境を幼少期から作ってあげることが一番大切なのではないでしょうか?
これはご家庭の養育者の方たちの役割です。
勉強を無理強いすることなく小さい頃から習慣付けてしまわれたら如何でしょうか。
余談ですが私が未だ眼が開かない頃から母は「童話」を一日一冊読んで聞かせたそうです。
そしてご自分のお子様に勉強という習慣を作りたかったら、養育者の方達も勉強をする姿勢をお子様に見せることです。
学校では「勉強しろと催促してもしない生徒はしないでしょうし、言われなくてもする生徒は自主的にする。」と思います。
卒業してから生活のための収入をどうやって得て、何を目的に人生を歩むかのビジョンを作るためのサポートは
学校できちんと指導してあげてください。
卒業してからの人生の方が長いのですから、何故、勉強をした方が良いのかを先生達の人生経験から紐解いてあげることも教育だと思います。

 先生が学校内の問題に真面目に対処してくれる学校
ここでも考えたいことは先生と生徒の「絆」という信頼関係です。
先生達に、もう一度振り返ってみて欲しいことがあります。
「何故、教職という道を自分は選択したのか・・?」
原点に立ち返ることは「自分を見つめ直す」という作業です。
そこから始め、生徒さん達が抱えている諸問題と真剣に向き合えば自ずと「絆」は出来上がってくると思います。
「絆」は積み上げて行くプロセスにエネルギーが必要です。その反面「絆」はあっという間に切れてしまいます。
特に、こころが日々揺れ動く「思春期」という難しさもあります。
ご自分もその思春期を何かに支えられ、今、「教職」に就いているのだと思います。
そんな「思い出」とともに真っ向から生徒さん達と向き合うことは、ご自分の「原点」をもう一度、積み上げていける、自分にとっての大きな実りではないでしょうか?

不登校にならない高校

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